Top / イベント / 歴史-東欧
リトアニア †
ドイツのメーメル要求(2400) †
- 1939年3月22日、リトアニア政府は凄まじいドイツ系住民の圧力と攻撃準備を進めるドイツ軍の脅威に屈し、メーメル(現クライペダ)を割譲することでドイツと合意し、不可侵条約に署名した
オーストリア †
オーストリア併合(2100) †
- アドルフ・ヒトラーがドイツの首相に就任すると、ドイツとオーストリアの統一(アンシュルス)を求める声が一段と高まっていく。そうした中、ヒトラーは1938年2月にオーストリアのクルト・フォン・シュシュニク首相をベルヒテスガーデンに招いて会談を行った。そこでヒトラーは首相に、オーストリア・ナチス党への譲歩を求めた。だがシュシュニク首相はこれを拒絶し、1938年3月9日にオーストリアの独立維持の是非を問う国民投票の実施を発表する。これをオーストリア問題解決の絶好のチャンスととらえたアドルフ・ヒトラーは行動を起こし、シュシュニク首相を辞任に追い込んだ。これにともないオーストリア・ナチス党のアルトゥール・ザイス=インクヴァルトが首相となって新政権を発足、オーストリアはナチスの支配下に置かれた。そして1938年3月12日朝、ドイツ国防軍とSS(ナチス親衛隊)が国境を越えてオーストリアに進駐を開始し、翌3月13日にはヒトラーがリンツにて、オーストリアのドイツ帝国への“アンシュルス”(併合)を認める法律を発表し
- 「枢軸同盟に加わる」 3%
ドイツと同盟を締結
ドイツに軍事通過許を与える
不満度+10
イタリアとの友好度+15
民主的−独裁的スライダーを2に設定
左派−右派スライダーを1に設定
閉鎖社会にスライダーが2傾く
大臣を以下のようにする。
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 23043 | アルトゥール・ザイス=インクヴァルト | 不屈の改革者 | 政府首班 | 23050 | エドムント・グライゼ=ホルステナウ | 元陸軍大将 | 外務大臣 | 23060 | ヴィルヘルム・ヴォルフ | イデオロギーの闘士 | 軍需大臣 | 23071 | ルドルフ・ノイマイヤー | 鉱山企業家タイプ | 内務大臣 | 23085 | アルトゥール・ザイス=インクヴァルト | 物静かな法律家 | 情報大臣 | 23096 | ヴィルヘルム・ヴォルフ | 技術分析の専門家 | 参謀総長 | 23106 | エミール・ヒックマン | 機動論者 | 陸軍大臣 | 23117 | オイゲン・バイヤー | 弾力的防御ドクトリン | 海軍大臣 | 23125 | エミール・ヒックマン | 外海軍ドクトリントリン | 空軍大臣 | 23010 | アレクサンダー・ロール | 陸軍支援ドクトリン |
以下の地域をの中核州に加える
ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | 470 | プルゼニ | | 468 | クトナーホラ | | 469 | プラハ | | 475 | ブルノ |
ドイツイベントオーストリア併合―同盟(2002)が発生
ドイツイベントチェコスロヴァキアの終焉(2040)が発生しなくなる
- 「オーストリアは独立を堅持する」 1%
不満度+40
ドイツとの友好度-125
イタリアとの友好度+15
イギリスとの友好度+5
フランスとの友好度+5
民主的−独裁的スライダーを1に設定
左派−右派スライダーを2に設定
チェコスロヴァキア †
ミュンヘン条約(2200) †
- ズデーデン問題に関する和平会議をミュンヘンで主催することにヒトラーは同意した。この会議には英仏伊の首脳(チェンバレン、ダラディエ、ムッソリーニ)が出席し、チェコスロヴァキアからズデーテンラントを切り離し、ドイツの領土とすることを認めた。この会議に代表の出席を認められなかったチェコ政府は同盟国に見捨てられたと悟り、英仏の圧力に負けてドイツにズデーテンラントを割譲する。ヒトラーは会議に出席した各国首脳に、これ以上の領土拡大は望んでいないと確約した。チェンバレンはヒトラーが署名した一枚の紙を手にイギリスへ戻り、“我々の平和は保たれた”と宣言した
- 選択肢
- 主張を認める 96%
現在加入している軍事同盟から脱退
以下の地域をドイツが所有する
ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | 467 | ターボル | | 466 | ストラコニツェ | | 471 | ウースチー | | 472 | リベレツ | 474 | オストラヴァ |
ドイツとの友好度+10
イギリスとの友好度-10
フランスとの友好度-10
独裁的にスライダーが2傾く
閉鎖社会にスライダーが1傾く
不満度+25
ドイツイベントミュンヘン条約 − ドイツへのズデーテンラント割譲(2003)が発生
- 枢軸同盟に加わる 1%
現在加入している軍事同盟から脱退後、ドイツと同盟を締結
ドイツとの友好度+40
フランスとの友好度-40
イギリスとの友好度-40
ソ連との友好度-30
閉鎖社会にスライダーが1傾く
民主的−独裁制スライダーを3に設定
左派−右派スライダーを4に設定
不満度+25
大臣を以下のようにする。
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 24034 | ジャン・シロヴィー | 引退した大元帥 | 政府首班 | 24046 | ルドルフ・ベラン | 権力者の腰ぎんちゃく | 外務大臣 | 24058 | オルドリッヒ・オタミール | 小心な官吏 | 軍需大臣 | 24070 | エミル・ドブリセク | 天才的実務家 | 内務大臣 | 24087 | オタカール・エイシャー | 情け深い紳士 | 情報大臣 | 24104 | ボフミル・ネメク | 産業分析の専門家 | 参謀総長 | 24119 | ヨセフ・ツラネック | 精神論者 | 陸軍大臣 | 24131 | ヤロスラフ・ベハク | 弾力的防御ドクトリン | 海軍大臣 | 24138 | ロベルト・リクトルモク | 外海軍ドクトリントリン | 空軍大臣 | 24144 | アウグスティン・マラー | 立体集中攻撃ドクトリン |
ドイツイベントミュンヘン条約 − チェコスロヴァキアの枢軸同盟への参加(2004)が発生
チェコスロヴァキアの終焉―スロヴァキア独立(2201) †
- ズデーテンラントを併合したヒトラーは、次にティソが率いる小さなスロヴァキア愛国組織を使い、半ば強制的にスロヴァキアの独立を宣言させた。これと時を同じくしてドイツ軍部隊がスロヴァキア人の“保護”を名目に国境を越えてチェコスロヴァキア領内への進駐を開始する。そして間髪を入れず、ヒトラーはチェコの大統領に向け、現在の“チェコ問題”について話し合うためにドイツへ来るように要請した。だが、その目的はチェコ大統領を孤立させて脅迫し、屈服させることであった。ヒトラーの策は成功した。数日後にはドイツ軍が旧チェコスロヴァキア全土を掌握した
チェコスロヴァキアの終焉―分割(2202) †
- チェコスロヴァキアの終焉―スロヴァキア独立(2201)を参照
ヤン・マサリク暗殺(397) †
- チェコスロヴァキアの初代大統領トマーシュ・マサリクの息子であるヤン・マサリクは第一次世界大戦が勃発したときアメリカに留学中であったが、大戦中はオーストリア=ハンガリー軍に加わって戦った。大戦後は外交官として昇進を重ね、1919年から1921年まで駐米代理大使を務め、1925年には駐英大使となった。1938年にズデーテン危機が起こると、戦争を回避したいヨーロッパ列強はヒトラーの求めるままにチェコスロヴァキアに対してドイツへの領土割譲を迫った。マサリクは抗議の意思表示として駐英代理大使を辞職する。しかしロンドンから離れることはなかった。ドイツが1939年にチェコスロヴァキア全土を占領し、スロヴァキア地域にドイツの傀儡政権が誕生すると、ヤン・マサリクはチェコスロヴァキア亡命政権の外務大臣に就任し、1945年に祖国が解放されたあとも外務大臣としてとどまった。翌年行われた選挙では共産党が圧勝し、マサリクはソ連との友好的な関係を維持しようと努めた。しかしスターリンはチェコスロヴァキアのマーシャルプラン参加を認めなかった。スターリンの横暴なやり方にマサリクは失望する。1948年には共産主義の台頭に危機感を募らせた非共産党系の大臣の大半が新たな選挙を求めて内閣から離脱したものの、クレーメント・ゴットヴァルトが共産党政権を樹立した。この時もマサリクは外務大臣に留任したが、閣内で急速に孤立していくことになる。そうしたなか1948年3月、外務省内の中庭でマサリクの死体が発見される。発見現場は大臣専用トイレの窓の真下であった。最初の捜査では自殺したとの結論が下された。この結果は1968年(プラハの春)や1990年(ベルリンの壁崩壊)の再調査でも正しいとされた。しかし2004年にもう一度検証が行われた結果は、広く信じられていた噂を裏付けることになった。マサリクは自殺ではなく、政敵に暗殺されたのだ。
- 条件
期間 1948/3/11〜1948/3/12
1日ごとに判定
政体が共産主義系(急進的左翼・レーニン主義・スターリン主義)の時、80%の確率で発生
- 選択肢
- OK
民主的-独裁的スライダーを2(独裁寄り)に設定
政治的左派-政治的右派スライダーを10(左派寄り)に設定
大臣を以下のようにする
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 24042 | クレメント・ゴットワルド | 口先だけの道化者 | 政府首班 | 24147 | クレメント・ゴットワルド | 裏工作の達人 | 外務大臣 | 24063 | ウラディミール・クレメンティス | 調停の達人 | 軍需大臣 | 24154 | ルドヴィク・スヴォボダ | 歴戦の勇士 | 内務大臣 | 24156 | ヴァーツラフ・ノセク | 反社会的効率主義者 | 情報大臣 | 24158 | アレクセイ・ツェピツカ | 兵站分析の専門家 |
ポーランド †
イギリスの同盟提案(3600) †
- リッベントロップはポーランドに対して、ダンツィヒの返還および、東プロイセンとドイツ本国との間にドイツ運営の道路および鉄道が敷設できるようポーランド回廊上の旧ドイツ領の返還を求めた。しかしこの時、ヒトラーは要求を完全に拒絶された。1939年3月31日に、イギリスとフランスがポーランドの国境線を保障したのである。この英仏からの独立保障で勢いを得たポーランドに妥協などするつもりはない。こうして1939年が進展するにつれ、ソ連の立場が重要になってきた。もしもスターリンがイギリスと同盟すれば、ドイツは二正面戦争を仕掛けられる危険性から、世界を巻き込むような大戦争を起こせなくなる。だがイギリスはソ連との同盟交渉にあまり乗り気ではなかった。それは政治的イデオロギーの違いだけでなく、もっと現実的な理由からであった。スターリンもまた、自らの欲望が満たされるわけでもない戦争に巻き込まれる気など毛頭なかった。そこでナチスドイツは、マンフレット・フォン・シュレーダーが言うところの“勇気”と“知恵”を振り絞り、イデオロギー上最大の敵としていたソ連との条約締結を成功させた
孤立無援のポーランド(3603) †
- 今日、耳を疑うような知らせが届いた。ドイツが東欧諸国に無理な領土要求を押しつけているにもかかわらず、イギリス政府は我が国と同盟を結ぶ可能性を完全に否定した。つまりイギリスにはドイツの暴挙を止める意思がないのだ。今日は我が国にとって史上最悪の日だ。ポーランドは孤立無援となった。これから数か月生き残るために我々は何をすべきかよく考える必要がある。慎重に行動するとしよう
- ロンドンめ、地獄に落ちろ!
イギリスとの友好度-5
ダンツィヒか戦争か(3601) †
- 選択肢
- では戦争だ 99%
ソ連との友好度+5
イギリスとの友好度+10
フランスとの友好度+10
不満度-5
左派にスライダーが1傾く
介入主義にスライダーが1傾く
ドイツイベントダンツィヒか戦争か ― 戦争だ!(2028)が発生
- 要求に屈する 1%
ドイツとの友好度+10
ソ連との友好度-5
イギリスとの友好度-5
フランスとの友好度-5
ダンツィヒ(303)をドイツが所有する
不満度+5
右派にスライダーが1傾く
孤立主義にスライダーが1傾く
ドイツイベントダンツィヒか戦争か ― ポーランドが屈した(2029)が発生
ダンツィヒか戦争か(3602) †
- イギリスの同盟提案(3600)参照
- イギリスに独立保障イベントを拒否られた時に発生。上のイベントよりドイツの要求をaiが受け入れやすく設定されてます
- 選択肢
- では戦争だ 60%
ソ連との友好度+5
イギリスとの友好度+10
フランスとの友好度+10
不満度-5
左派にスライダーが1傾く
介入主義にスライダーが1傾く
ドイツイベントダンツィヒか戦争か ― 戦争だ!(2028)が発生
- 要求に屈する 40%
ドイツとの友好度+10
ソ連との友好度-5
イギリスとの友好度-5
フランスとの友好度-5
ダンツィヒ(303)をドイツが所有する
不満度+5
右派にスライダーが1傾く
孤立主義にスライダーが1傾く
ドイツイベントダンツィヒか戦争か ― ポーランドが屈した(2029)が発生
突然の政府交代(216) †
- 条件
1936年1月2日〜1938年12月30日まで、39日毎にチェックし、5%で発生
- 選択肢
- OK 85%
大臣を以下のようにする。
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 13001 | イグナシー・モスシッキ | Stern Imperialist | 政府首班 | 13041 | フェリジャン・スラウォジ=スカラドコウスキ | Naive Optimist | 外務大臣 | 13003 | ジョゼフ・ベック | General Staffer | 軍需大臣 | 13072 | ユージェニウスズ・クワイアトコウスキ | Administrative Genius | 内務大臣 | 13089 | フェリジャン・スラウォジ=スカラドコウスキ | Efficient Sociopath | 情報大臣 | 13113 | ジャン・コワレウスキ | Dismal Enigma | 参謀総長 | 13115 | ワクラウ・スタチーウィッツ | School of Fire Support | 陸軍大臣 | 13008 | エドワード・リズ=スミグリー | Decisive battle doctrine | 海軍大臣 | 13130 | ジョゼフ・ウンラグ | Indirect Approach Doctrine | 空軍大臣 | 13134 | ルドミル・ライスキ | Army Aviation Doctrine |
不満度-1
民主化クーデター(217) †
- 条件
1939年1月2日〜1944年12月30日まで、39日毎にチェック
ドイツが戦争中である
ポーランドがドイツの傀儡である
- 上記すべてを満たす場合、5%で発生
- OK
大臣を以下のようにする。
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 13032 | カジミエルズ・ソスンコウスキ | Resigned Generalissimo | 政府首班 | 13043 | ヴラディスラフ・シコースキ | Old General | 外務大臣 | 13058 | アウグスト・ザレスキ | Ideological Crusader | 軍需大臣 | 13073 | カシミーア・エーレンバーグ | Laissez Faires Capitalist | 内務大臣 | 13090 | アダム・ローズ | Crime Fighter | 情報大臣 | 13107 | アダム・タルノウスキ | Dismal Enigma | 参謀総長 | 13116 | ヴラディスラフ・シコースキ | School of Manoeuvre | 陸軍大臣 | 13124 | ヴラディスラフ・シコースキ | Guns and Butter Doctrine | 海軍大臣 | 13131 | フランソワ・ソカル | Open Seas Doctrine | 空軍大臣 | 13135 | スタニスラフ・パウルック | Air Superiority Doctrine |
不満度-1
スロヴァキア †
チェコスロヴァキアの終焉(2300) †
- チェコスロバキアは分割されスロヴァキアが新たに独立することとなった
- OK
MP+10
大臣を以下のようにする。
大臣 | ID | 名前 | 特性 | 国家元首 | 31031 | ヨゼフ・ティソ | 強硬な孤立主義者 | 政府首班 | 31034 | ヴォジテク・ツーカ | ナイーブな楽天家 | 外務大臣 | 31037 | フェルディナンド・ダーカンスキー | 調停の達人 | 軍需大臣 | 31042 | ミクラス・プルジンスキー | 鉱山企業家タイプ | 内務大臣 | 31048 | ジャンコ・ジェセンスキー | 情け深い紳士 | 情報大臣 | 31055 | ハンス・ベルナルド | 産業分析の専門家 | 参謀総長 | 31060 | グスタフ・マーラー | 火力支援論者 | 陸軍大臣 | 31063 | フェルディナンド・カトロス | 軍備優先ドクトリン | 海軍大臣 | 31066 | ヨゼフ・ツラネク | 外海軍ドクトリントリン | 空軍大臣 | 31069 | アントン・プラニック | 陸軍支援ドクトリン |
ブラティスラヴァ(476)にスロヴァキア戦闘群(陸軍)を配置する
歩兵師団×2
ハンガリーイベントチェコスロヴァキアの終焉 ― ハンガリーにルテニアを割譲(2500)が発生
モロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲(2301) †
- ドイツイベントモロトフ・リッベントロップ協定 ― ソ連へ東部ポーランドを割譲(2018)が発生すると東部ポーランド占領地をソ連に割譲させられるイベント
- 協定を遵守する
以下のプロヴィンスをソ連が所有する
ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | | ID | 地名 | 500 | ストリャージ | | 501 | リヴォフ | | 502 | タルノポリ | | 503 | ピンスク | 504 | ブレストリトウスク | | 505 | ビェルスク | | 506 | コヴェル | | 507 | スロニム | 508 | ビヤウィストク | | 562 | ロウネ | | 229 | スタニスワヴフ | | 222 | ルニニエク | 210 | バラノヴィチェ | | 209 | グロドノ | | 213 | モロデチノ | | 211 | リダ | 214 | スヴィエチャニ | | 208 | ヴィリニュス |
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