Top / イベント / 歴史-フランス
イベント/歴史-フランス
フランス †スペイン内戦 ― 介入(2801) †
スペイン内乱の終結 − 重要な経験(2803) †
選挙(900007) †
戦時体制への移行(52) †
選挙(900008) †※汎用イベントテキストにつき省略
マジノ線、迂回される(2789) †
ヴィシー政権(2800) †
フランス軍の司令官たちがヴィシーフランスに与する(2103) †
自由フランスのリーダーシップ(970) †
フランス解放(2802) †
街の灯よ、再び(700001) DA †
ドイツの降伏(41) †
西ヨーロッパ解放(937) †
カンボジアの運命(104) †
ラオスの運命(114) †
レバノンの運命(126) †
シリアの運命(128) †
カンボジアの自治権(132) †
仏領ギアナが自由フランスに参加(972) †
チャドが自由フランスに寝返る(974) †
赤道アフリカが自由フランスに寝返る(976) †
仏領ソマリランドが加わる!(978) †
仏領西アフリカが仲間に!(980) †
ニューカレドニアとオセアニアが自由フランス支持を表明!(982) †
ヴィシーからの亡命(987) †
ヴィシーとの和解(997) †
ドイツのヴィシー占領(998) †
シリアが自由フランス領に戻る(100010) †
レバノンが自由フランス領に戻る(100011) †
マダガスカル奪還(100009) †
自由フランスがマダガスカルを占領(100013) †
期間 1940年1月1日から1963年12月29日まで5日毎にチェック
レバノンが自由フランスを支持(100018) †
ヴィシーフランス †ヴィシーフランスの独立(4003) †
日本が仏領インドシナの基地を要求(4000) †
日本が仏領インドシナを要求(4001) †
日本が仏領インドシナとマダガスカルを要求(4002) †
ダルラン提督の選択(985) VerA †ヴィシー政府軍のダルラン提督は北アフリカについて連合軍の司令官たちと交渉を重ねていた。そしてアメリカ軍のクラーク司令官と協議したのち、ダルランは連合軍のモロッコ上陸に一切手出ししない方針を選択した。
ダルラン提督の選択(986) VerB †連合軍の司令官がダルラン提督と交渉を重ねたものの、提督は連合軍のモロッコ上陸を認めなかった。ここはなんとしても敵軍の侵略を阻止するのだ!
ダルラン提督の暗殺(355) †愛国心の強い参謀肌のジャン=フランソワ・ダルランが1936年にフランス海軍の総司令官となる。以前から強い反英感情を抱いており、第二次世界大戦においてドイツが勝利すると信じていた。したがってヒトラー率いるドイツと早期に講和するのがフランスにとって得策だと考えていた。フランスがドイツに降伏し、新たにヴィシー政権が樹立されると、ダルランはヴィシー政権を支持した。その後、政権に加わり、首相、外相、内相を兼務することになった。だが彼の名声はそう長くは続かなかった、アルジェリアにおいて反ナチス主義者に暗殺されたのである(1942年12月)。
ドイツの北アフリカ介入(990) †ダルラン提督が亡命したことでドイツとの関係に問題が生じた。ドイツは連合軍のさらなる北アフリカ進撃を食い止めるべく、我が国の領土であるアルジェリアとチュニジアを譲るよう求めている。
ドイツのヴィシーフランス介入(993) †ドイツ軍がヨーロッパのヴィシー本国を占領しようと動き出した。我々はどうしたらいいのだ?
ヴィシーに対するドイツの圧力(994) †北アフリカでの失態を受け、ベルリンは我々に連合軍の進撃に抵抗し、国内の反体制分子を弾圧せよとさらなる圧力をかけてきた。
ドイツがヴィシーフランスへの支援を打ち切る(995) †北アフリカの事態を憂慮したベルリンは、我が国との関係を考え直し、あらゆる関係を実質的に断絶した。
レヴァントの状況(100006) †イラクでクーデターが起こると、シリアの現地当局はイラクの反政府勢力の支援に乗り出した。しかしそれが連合軍の介入を呼ぶことになる。史実ではヴィシー政権はレヴァント(地中海東部沿岸)での連合軍の活動に直接抵抗することは一切なく、同地域は自由フランスの支配に戻ることになる。
マダガスカルの状況(100012) †裏切り者に率いられた連合軍部隊がマダガスカルに攻め込んできた。我々が取るべき対応は?
放任主義への転換(100019) †ヴィシー政府から発布される新しい植民地政策は非植民地化の一環である。現地総督に内政を任せるのだ。
仏領ギアナが自由フランスに参加 †植民地政府に入り込んでいた破壊分子のおかげで、ギアナを国賊に明け渡すことになった!
チャドが自由フランスに寝返る(973) †チャドの植民地政府がブラザヴィルの売国奴どもに寝返った!
赤道アフリカが自由フランスに寝返る(975) †赤道アフリカの植民地政府がブラザヴィルの売国奴どもに寝返った!
仏領ソマリランドが寝返る(977) †イタリアのエチオピア支配を終わらせたイギリスは、ジブチ(仏領ソマリランド)の総督に対して、自由フランス政府への支持を表明せよと圧力をかけ始めた。この圧力が功を奏し、1942年12月に仏領ソマリランド政府はヴィシーと断絶し、自由フランス支持を表明した。
仏領西アフリカが寝返る(979) †モロッコとアルジェリアを完全に掌握した連合軍は、西アフリカにある我が国の植民地に寝返るように圧力をかけた。忠義のかけらもない植民地当局は連合軍の要求に従った!
ニューカレドニアとオセアニアが自由フランス支持を表明!(981) †1940年7月18日、ミシェル・ヴィルジを長とする現地の委員会が自由フランスに従うと表明したことで、ニューカレドニアとオセアニアが自由フランス陣営に加わった!
*1 Paradoxのミスか、descでもイベント名を指定している *2 Paradoxのミスか、descでもイベント名を指定している *3 イギリスと戦争している以上ありえない条件。ヴィシーの誤りか? *4 無印版ではParadoxのミスでフランスになっている *5 二重登録されている *6 コメントではオランとなっているが、オランは953である *7 コメントではアルジェとなっているが、アルジェは949である *8 コメントではオランとなっているが、オランは953である *9 コメントではアルジェとなっているが、アルジェは949である Top / イベント / 歴史-フランス |